メモ帳1-1 漢詩の起源と詩吟の始まり
古代の日本は、600年代に中国へ文化使節を送った。
その飛鳥時代に遣隋使、又その後に遣唐使を派遣して、中国との文化交
流をはかり、その中で、中国の初唐の詩人が作った、詩なども紹介さ
れた。日本での、漢詩作りも始まりました。その後、盛唐の時代には、
天才の詩人、李白(四川省 701~762)、杜甫(湖北省襄陽県 712~
770)などが作った詩が紹介され、日本でも漢詩を作り、日本独特の
読み下し文で詠ずるようになった。
その後嵯峨天皇(786~842 第52代の天皇)は、即位3年目に桜の花を
めでて、管絃を奏し、詩を詠唱し詩歌を楽しむ「花の宴」を行ってい
ます。又自身が作った代表作に、「山の夜」という漢詩があります。
その後「花の宴」では詩が、笙の笛や箏に合わせて朗唱されました。
この当時は、今で云う詩の朗吟ではなく、語り物に近い朗唱と言わ
れた。朗唱は、宮中や、その臣、又は僧侶などで行われていたが、
その後鎌倉時代には、武士の間でも漢詩を作り、詩を詠じられました。
室町時代から戦国時代には、漢詩や和歌が好んで作られ、僧侶や、武将
が多くの漢詩を作っています。
江戸時代になると漢詩の朗詠が活発になり、文学者、儒者、武士、詩
人、僧侶、等の多くの人が漢詩を作り同好の人たちにより、節調をつけ
吟じられました。
このことが、のちの現代吟詠へと発展してゆきます。
この時代には、藩校や、私塾も発展し作詩や吟詠を士気の高揚の為奨励
しました。
特に広瀬淡窓の桂林荘がもっとも盛んで塾生も、良く小鼓のような楽器
に合わせて、吟じました。
その後それぞれの故郷に帰った塾生たちが、官職についた後詩吟を広め
た、又学者も、良く訪問していたので、詩吟を習って覚えた。
この事が、全国に詩吟が普及した原因であると云われています。
当時の吟法には色々な流派がありましたが、特に有名なのが、淡窓流
や、山陽流で、淡窓流は、息つぎを工夫し、無理なく、美的感情を表現
し、音楽的に纏まった吟法をあみだしています。
江戸時代の文化は、そのまま幕末へと続き、隆盛を極めてゆきました。
ただ吟調については、淡窓流などの、ソフトな吟調と、幕末の志士達
が、良く好んだ、激しく吟じる、強い声の吟調の、2つの吟調が、それ
ぞれ新しい流派を育て、盛んになりました。
吟詠を指導することを、職業とする人も、数多く現れて、ますます多
くの人が吟詠を学び、これにより吟詠は、一般大衆化し、老いも若き
も、男性も女性も、吟詠を親しむようになりました。
有名な指導者の木村岳風は、詩吟の奨励の為、全国を回り、各流派の、
節調などを研究し現代吟詠の母胎となった、岳風流をあみだし、その
後「日本詩吟学院」を創立し、多くの優れた吟詠家を育てています。
「その吟法は、魂をゆさぶる、感にたえないものであります。」
一時、敗戦により、したびになっていた詩吟も、昭和27年頃から盛ん
になり、現在にいたっています。
吟詠とは、「心を育てる芸道である」 又「漢詩や和歌のもつ作者
の詩心を正しくとらえて、音楽的に、正しく表現する」ことである
と云われています。